坂本繁二郎作品の買取価格は高い?代表作や高価買取のポイントを解説

坂本繁二郎(さかもとはんじろう)は、時代に流されることなく独自の道を追求し続けた真摯な画業で多くの美術ファンを魅了する洋画家です。
美術品買取市場でも坂本繁二郎の絵画は非常に人気が高く、高価買取されるケースも少なくありません。
本記事では、坂本繁二郎の作品の特徴や代表作・有名作品に加えて、買取市場で高く売れる理由、高く売れやすい坂本繁二郎作品の特徴、坂本繁二郎の絵画を高価買取してもらうためのポイントなどについてご紹介します。
※本記事の内容は、必ずしも買取価格を保証するものではございません。予めご了承下さい。
目次
坂本繁二郎とは
坂本繁二郎(1882-1969)は、明治~昭和にかけて活躍した日本の洋画家です。
福岡県久留米市で生まれた坂本繁二郎は、地元の高等小学校で教員を務めていた洋画家・森三美(もりみよし 1872-1913)から洋画の基礎を学びました。
同門には同い年の洋画家・青木繁(あおきしげる 1882-1911)がおり、2人は生涯にわたって互いに切磋琢磨しながら日本の洋画壇において独自の道を切り開いていくことになります。
幼いころから「神童」と呼ばれるほどの才能を発揮した坂本繁二郎は、1902年に青木繁の誘いで上京し、小山正太郎の画塾「不同舎」で学び、印象主義の画風を取り入れます。
そして1907年には「北茂安村」が、1912年には「うすれ日」が文展に入選します。
とくに「うすれ日」は夏目漱石に高く評価されたことで有名です。
坂本繁二郎の画風に決定的な影響を与えたのが、1921年にフランスの「アカデミー・コラロッシ」に留学し、ポスト印象派のシャルル・ゲランに師事したことでした。
当地の自然に影響を受けた坂本の画風は、これまでの筆あとを強調した印象主義的な傾向を潜め、柔らかく淡い色調を積極的に取り入れるようになり、より感情的で内面的な表現に変わりました。
帰国後は地元・福岡で画業を続け、毎日美術賞受賞、文化勲章受章、朝日賞受賞など、その作品は高く評価されました。
■坂本繁二郎の略歴
- 1882年:福岡県久留米市に生まれる
- 1900年:久留米高等小学校の図画代用教員となる
- 1903年:新設の太平洋画会研究所で学ぶ、同会展覧会に出品を続ける
- 1907年:「北茂安村」が第1回文展に入選
- 1912年:第6回文展に「うすれ日」を出品、夏目漱石が高く激賞
- 1921年:渡仏し、シャルル・ゲランに師事する
- 1924年:久留米に帰国
- 1931年:福岡県八女(やめ)の梅野宅の隣地にアトリエを建立
- 1953年:「水より上がる馬」で毎日美術賞を受賞
- 1956年:文化勲章を受章
- 1963年:朝日賞を受賞
- 1969年:87歳、逝去
坂本繁二郎の作風
坂本繁二郎の作品は、彼の人生と共に趣を変えていきました。
初期の作品では筆致を強調した印象主義的な画風のものが多く見られましたが、フランス留学を経て柔らかく淡い色調を積極的に取り入れた、感情的で内面的な表現が強くなります。
モチーフも、50代ごろまでは日常のシーンや生活用品・牧牛・馬などが多かったのですが、視力低下により外での制作が難しくなると、アトリエ内で果物・石・箱・能面など身近な静物を描くようになります。
晩年には月を多く描き、より精神的なテーマを持つ作品へと移行していきました。
同郷で同年生まれの青木繁がロマンティックな幻想を描く一方で、坂本は現実の中に潜む本質を追い求めたと言えるでしょう。
特に晩年は、余分なものを省いて対象の本質のみをすくい上げるという、坂本繁二郎独自の表現に到達しました。
青木繁との対照的な人生も興味深く、坂本が早逝した青木を生涯のライバルと意識していたことが、彼の創作活動に大きな影響を与えたかもしれません。
坂本繁二郎の作品の種類
坂本繁二郎が得意とするのは油彩画ですが、ほかにもリトグラフや木版画などの版画作品、あるいは素描作品もあります。
一点であるという点で油彩などの肉筆画は価値が高くなりやすいですが、版画作品も美術品買取市場で人気が高く、活発に取引されています。
坂本繁二郎作品の買取価格は高い?高く売れやすいポイントとは
文化勲章受章者でもある坂本繁二郎には、美術館に収蔵されているものなど貴重な作品も多くあります。
比較的希少性の低い版画作品などは買取市場でも出会うことが多いですが、やはり非常に人気が高く、高価買取されやすい作家であると言えます。
坂本繁二郎作品の中でも美術品買取市場で高く買取されやすいのは、やはり肉筆の油彩画でしょう。
モチーフでは馬が描かれた作品の人気が高いほか、静物や能面をモチーフにした作品も評価が高いです。
こういった人気作品は買取価格も高くなりやすいでしょう。
坂本繁二郎だけでなく、絵画の買取では有名作家の作品ほど買取相場が高くなりやすい傾向があります。
以下のページでは、有名作家の作品など西洋画の買取相場や高く売るためのポイントなど、西洋画の買取情報について記載してございます。
参考までにぜひご参照ください。
バイセルでの絵画の買取実績は?
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以下の各ページでは、西洋画をはじめとした絵画の買取相場や、バイセルでの実際の買取例について記載してございます。
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坂本繁二郎の代表作
坂本繁二郎は、時代の流れに安易に流されることなく独自の道を追求し続けた、その真摯な画業から、多くの美術ファンを魅了しています。
日常の風景や静物、晩年には月などをモチーフにした精神性の高いものと、多彩な作品は美術品買取市場でも高い支持を集めています。
ここでは、買取市場で出会うことのあるものから美術館に所蔵されているものまで、坂本繁二郎の代表作をご紹介します。
うすれ日
1912年、坂本繁二郎の名前を広めた作品と言えるのが「うすれ日」です。
この作品は、千葉県の御宿海岸を舞台としていて、一頭の牛が横を向いて立つ光景を、揺らぎの伴うようなタッチ画風で描きました。
第6回文展にて夏目漱石が、この作品を激賞したことにより、一気に注目を浴びることとなったため、坂本の出世作として知られています。
漱石から高い評価を受けたことに自信を持ち、同じく房総の海を背にした「海岸の牛」など、牛をモチーフとした作品を多く制作しました。
帽子を持てる女
この作品のモデルは、広い襟元の上衣と大きな帽子を着用し、安定感のある姿で描かれています。
胸元のボタンと帽子の円形がリズムを生み出し、視線を上方へ導く構図が空間の広がりを演出しています。
全体に茶色を基調としつつ、衣服に施された色面が調和し、一部のエメラルドグリーンが背景にも使われて明るさを加えています。
茶色とエメラルドグリーンの組み合わせが、落ち着いた印象ながらも画面に鮮やかさをもたらしています。
放水路の雲
フランスから帰国後、坂本繁二郎は久留米郊外の筑後川放水路の頭上に広がる、壮大な空と雲を描きました。
この作品では、広大な空が画面の大部分を占め、特に雲が画面の主役としてクローズアップされています。
坂本は空の奥深さと雲の柔らかさを、印象的に捉えています。
本作の制作3年後の1927年には、同じ構図で新たな作品を描き、時間が経つにつれて変化する雲の表情と空の広がりを再び表現しています。
自然の一瞬一瞬の美しさを捉え、変わらぬ風景の中に新たな発見を見いだしていることが感じられます。
水より上る馬
1937年に制作された油彩画「水より上る馬」は、第24回二科展に出品された作品の一つです。
この作品では、控えめな色調の中で馬と背景の自然がほとんど同質に描かれ、深い存在感を持つ自然が見事に表現されています。
坂本繁二郎が馬を頻繁に描くようになったのは、渡仏生活を終え福岡県八女郡福島町に定住してからです。
東洋的な自然観が色濃く反映されており、風景と対象が響き合い一体となる様子が強調されています。
放牧三馬
「放牧三馬」は、フランスから帰国後に坂本繁二郎が新たに設けたアトリエで描かれた作品です。
ここでは、3頭の馬が正面、横、後ろと異なる視点から捉えられ、陽光に照らされた体がそれぞれの角度で輝きを放っています。
特に中央の馬に施されたエメラルドグリーンは、馬の体や脚、空、地面、さらには背景の木々にまで微妙に反映され、画面全体を統一感のある印象に仕上げています。
坂本がこのテーマに取り組むきっかけとなったのは、友人からの馬の絵の注文でした。
それ以降、彼は馬に深い情熱を注ぎ、九州の広大な自然の中で躍動する馬を求めて放牧場や馬市を精力的に訪れました。
彼の生涯にわたる馬への探求と愛情が、この作品に色濃く表れています。
まだまだある坂本繁二郎の有名作品
これまでに挙げたもののほかにも、坂本繁二郎にはまだまだ多くの有名作品・人気作品があります。
北茂安村 | 能面と鼓の胴 | 林檎と馬鈴薯 | 柿 | 砥石 |
幽光 | ブルターニュ | 大島の一部 | 能面 | 牛 |
厩の母仔馬 | 阿蘇五景 | 波埜の月 | 放牧 | 南郷谷 |
根子嶽の朝 | 噴火口 | 筑紫五景 | 筑後川 | 火の海 |
草画舞臺姿 | 矢部村山林 | 百済観音 | 馬 | 放牧馬 |
ここに名前を挙げた作品をお持ちなら、保存状態などの条件によって高く買取される可能性があります。
具体的な価値については、ぜひ1度バイセルの無料査定でお確かめください。
坂本繁二郎の絵画を高価買取してもらうためのポイント
真摯な画業によって対象の本質をすくい上げる坂本繁二郎の作品は、買取市場でも高く評価されています。
では、坂本繁二郎の絵画を少しでも高く売るためにはどのようなポイントに気をつければ良いでしょうか。
坂本繁二郎作品を含む絵画の買取において、より高く買取してもらうために知っておきたい3つのポイントをご紹介します。
- 綺麗な状態で保存しておく
- 鑑定書などの付属品を揃えておく
- 入手経路などの来歴を明確にしておく
綺麗な状態で保存しておく
坂本繁二郎を含む絵画の買取では、保存状態が良好である(制作当時の状態をなるべく保っている)ほど高く買取されやすい傾向があります。
反対に、ひび割れ、退色、シミ、シワ、カビ、傷、破れ、タバコの臭いがあるなど保存状態が悪いと、その分だけ買取価格は下がってしまいます。
坂本繁二郎のような有名作家の場合には多少の経年劣化があっても買取してもらえる場合も多いですが、高価買取の可能性は低くなってしまうでしょう。
作品を良い状態に保つためには、専用の袋や箱で保護する、直射日光を避けて風通しの良い場所で保管するなどの工夫をしてあげましょう。
鑑定書などの付属品を揃えておく
坂本繁二郎のような有名画家の作品をより高く売るためには、作者のサインや鑑定書・保証書といった、作品の価値を示す付属品の有無が重要な役割を果たします。
坂本繁二郎の作品には、作品の下部に「さかもと」というサインや印章が入っているものも多いですが、それに加えて鑑定書があれば、作品の価値を証明するのに役立つでしょう。
買取市場における信頼性が増すことで多くの需要を集められ、より高い価格での売却にもつながる可能性があります。
鑑定書・保証書などの付属品がある場合には、作品本体と併せて買取前に揃えておきましょう。
なお、坂本繁二郎作品について最も信頼度の高い鑑定機関としては、坂本繁二郎の孫である坂本暁彦氏が運営する画廊「サカモト」があります。
入手経路などの来歴を明確にしておく
坂本繁二郎をはじめとした絵画の査定では、買取市場における作品の信頼性のために「どこで手に入れたか」「いつ購入したか」「誰から譲り受けたか」など購入に至るまでの背景が確認されます。
例えば「業界で信頼されている専門店で購入した」「〇年△月に××博物館に貸し出した」などの来歴は、作品の価値を判断するうえでも重要な情報になります。
そして、その来歴を証明する書類等があればさらに信憑性が増し、買取市場における信用度が増すことでより高く売れるかもしれません。
入手した経路や時期、美術館への貸出履歴といった記録がある場合には、処分せずに大切に保管しておきましょう。
坂本繁二郎作品を売るなら美術品の買取実績豊富な買取業者を選ぼう
坂本繁二郎作品には非常に価値の高いものも多いです。
そこで、坂本繁二郎作品の買取で損をしないためには、本来の価値に見合った買取価格をつけてくれる買取業者を選ぶことが重要です。
当たり前のことに聞こえますが、絵画の価値を適正に判断するというのは非常に難しいことなのです。
画家や作品の人気、制作年代、作品の希少性、保存状態、付属品の有無などの細かい査定ポイントを正確に見極められなければ、価値を正確に算出することはできません。
そのため、美術品に関する専門知識を持っていて、坂本繁二郎作品の正しい価値を見極められる買取業者に査定を依頼するのがおすすめです。
その点、美術品の買取実績豊富な業者なら、それだけ多くの人に選ばれており、査定経験も豊富ということになります。
安心して利用できるでしょう。
坂本繁二郎作品を売るなら買取実績豊富なバイセルへ
坂本繁二郎作品の買取をお考えなら、骨董品買取のバイセルにお任せください。
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バイセルの査定士は、高い専門知識と豊富な査定経験を生かして、坂本繁二郎作品をはじめとした絵画1点1点の価値をしっかりと見極め、正確に鑑定します。
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親友・青木繁との関係
坂本繁二郎と青木繁は、ともに1882年(明治15年)に福岡県久留米市で生まれ、日本の洋画壇に大きな足跡を残した画家です。
彼らの関係は単なる同郷の友人というだけでなく、互いに刺激し合い、時にはライバルとして切磋琢磨した、稀有な「親友にしてライバル」というものでした。
この二人の画家は、その性格や画業の歩みが対照的であることから、しばしば比較して語られます。
青木繁が若くして才能を開花させたことから「早熟の天才」と呼ばれるのに対して、坂本繁二郎はじっくりと自身の画風を確立し、生涯を通じてモチーフを深く掘り下げて描く姿勢から「晩成の求道者」と呼ばれています。
また、青木繁が神話や文学に取材した幻想的でロマンあふれる作品を多く残したのに対して、坂本繁二郎は牛・馬・静物・月といった身近なモチーフに生命の真理を見出そうとする、感情を抑制した内面的な表現が特徴です。
その生涯も、青木繁が28年という短命であったのに対して、坂本繁二郎は87歳まで長生きし、晩年まで創作活動を続けました。
エピソード①スケッチ旅行や制作への影響
坂本繁二郎の上京後(青木繁は先に上京していた)、二人は共にスケッチ旅行に出かけるなど密接な交流がありました。
青木繁の有名作品である「海の幸」は、坂本が実際に目撃した大漁の様子を青木に伝えたことが制作のきっかけになったといいます。
このように、互いの制作に影響を与え合うこともありました。
エピソード②青木繁の死後も続く関係
青木が28歳で夭折した後も、坂本は青木の作品の散逸を惜しんで青木の遺作展を開催したり、画集の刊行に尽力したりしました。
また、アーティゾン美術館(東京都中央区)の創設者である石橋正二郎に青木作品の収集を進言したのも坂本であり、これが石橋財団コレクションの礎となりました。
さらに、1948年には青木繁の記念碑建立にも関わっています。
坂本繁二郎と青木繁は、生前に互いを認め合い、刺激し合っただけでなく、青木の死後も坂本がその遺志を継ぐ形で、友情を継続させた稀有な関係性でした。
その対照的な作風と人生は、日本の近代洋画史において、今日でも多くの人々を惹きつけています。
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