12オンス生地から覗くアメリカの歴史。ヴィンテージデニムを肌で感じる。
2024.06.20
コラム今や、二人に一人、いや履いたことがないという人はいないと断言してもいいだろう。
21歳の若さでクリスチャンディオールのデザイナーを務め、20世紀を代表するデザイナーである、かのイブサンローランでさえ、「私が世にジーンズを出せなかったことが残念でならない」と残している。それだけジーンズがファッションの歴史に与えた影響は大きい。
また一方で、ヴィンテージジーンズのディティールには歴史が色濃く反映されていて、細かく見てみると秘められた時代背景や当時の人々の思想、どんな想いでジーンズを履いていたかが見えてくる。
ちなみに説明しておくと、タイトルにある「12オンス生地」の“オンス”はデニム生地の重量を表す単位で、ジーンズについて言うときには、生地の厚みを意味する。諸説あるが、ヴィンテージデニムのアイコン「501XX」の生地は、元来10~12オンスのデニム生地で作られていたと言われている。
今日はそんなヴィンテージジーンズの12オンス生地越しにアメリカの歴史を振り返り、130年以上もの間、人類が求め続ける「ジーンズ」の魅力の1/10でも伝えることができればと思う。
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目次
序章:ヴィンテージジーンズとレギュラー(現行)ジーンズの違い
本題に入る前に、まずはジーンズの生地と染料についての基本的な知識を紹介しつつ、ヴィンテージジーンズとレギュラージーンズの違いについて考えてみよう。
早速だが、皆さんは普段どんなジーンズを履かれているだろうか。
AG(アドリアーノ・ゴールドシュミット)、ヌーディージーンズ、ディーゼル。ジーンズを主力アイテムとしたデザイナーズブランドは少なくない。リアルマッコイズ、ウェアハウス、フルカウント、フェローズといったアメカジブランドは、それぞれが独自の製法を取り入れた精緻なジーンズを発売している。加えてユニクロ、H&M、GAPなどのファストファッションブランドでは安価で購入することができ、普段の生活の中でジーンズに触れる機会は非常に多い。
「今の」ジーンズと「昔の」ジーンズの違いは色落ち
それでは「今の」ジーンズと「昔の」ジーンズ、何が違うのだろうか?
第5章でも述べることになるが、一番の違いはやはり「色落ち」である。ヴィンテージジーンズを語るときにはこの「色落ち」を避けては通れない。
ヴィンテージジーンズと呼ばれるジーンズに使われているデニム生地の厚みは、約10〜12オンス。現代のデニムには一般的に、13.5〜14オンスのデニム生地が使われていることを考えると、”薄い”ジーンズであることが分かる。(現代でも夏物のスキニーデニムには8オンス程度のものは多いがほとんどが化繊を含有している。)
そして生地の厚みが異なれば、シワの付き方やインディゴ(和名:藍 デニムの縦糸を染める青い染料)の染まり方も全く変わってくる。またそもそも染料自体も時代によって変わっていて、Levi’sでいえば、1978年の66前期モデルまで使われていたインディゴ染料は現在では使われていない。
今では再現できない生地と染料により、無二の色落ちと味わいを放つのがヴィンテージデニムなのである。
それでは次項からいよいよ本題に入り、ジーンズの誕生を、そしてジーンズと共に歩んだアメリカの歴史に触れながら、ジーンズの魅力に迫ろうと思う。
第1章:誕生 〜ゴールドラッシュを支えたジーンズ〜
ジーンズの発祥は1840年代のアメリカ、カリフォルニア州サクラメント。
当初、二万人にも満たなかったサクラメントは、金鉱発見の翌年1849年にはアメリカンドリームを夢見た10万人もの移住者で溢れかえった。
このゴールドラッシュと呼ばれるアメリカの歴史を大きく変えた一大ムーブメントに乗じて誕生したのが、今日の「リーバイス」である。
当時の労働者は、何よりも丈夫なジーンズを求めていた。そこでリーバイスの創始者リーバイストラウスは、金鉱労働者の意見を取り入れ、テントや船の帆に使われていたキャンバス地を素材にワークパンツを考案する。
「デニム地じゃないの?」となるが、実はリーバイスの最初の一本はデニムではなく、キャンバス地のワークパンツだった。
その後、1870年代に入るとさらにタフなデニム地が使われるようになり、染料には害虫に強いという理由でインディゴが使われるようになる。デニム地のワークパンツは、リーバイスの名とともに急速にアメリカ西部のワーカーたちの生活に浸透した。
だがしかしこのワークパンツが「ジーンズ」と呼ばれるのは少し先のこと。人によって線引きは異なるが、約20年後、1870年代の「リベットの採用」を以て「ジーンズ」の誕生とする見方が一般的である。
後述するが、この「リベット」は歴史背景に伴い、形状、素材の面で変貌を余儀なくされ、結果として今ではヴィンテージジーンズの年代判別で重要な役割を持ち、マニア垂涎のディティールとなっている。
ちなみに現存する最古のジーンズは、サンフランシスコのリーバイス本社に保存されている「XXc.1879」とされているが、筆者は目にしたことがないので、日本円で軽く一千万円を超える額がつけられていることだけ紹介しておく。
次項では、1900年代に入り、ファッションとしての意義を持ち始めたジーンズについて紹介する。
第2章:ワーカーズウェアからの脱却
リーバイスが考案したデニム地のパンツは、労働者階級から絶大な支持を得て広く普及するようになる。1900年代に入るとご存知「Lee(リー)」がオーバーオールを製造し、このころ「Carhartt(カーハート)」や「OSHKOSH(オシュコシュ)」といったヴィンテージアイテム好きなら馴染み深いブランドもこぞってジーンズを世に送り出している。
ジーンズが憧れのファッションとして普及した「カウボーイ」の存在
そんなジーンズが、ファッションとして普及することになった背景にあるのが、「カウボーイ」の存在だ。
1920年代以降のアメリカでは、「風と共に去りぬ」「駅馬車」といった名作映画が生まれアメリカ映画史の黄金期を迎えていた。当時のハリウッド映画に欠かせないのが「駅馬車」を始めとした西部劇映画である。
映画を通じて多くのアメリカ人がカウボーイに対して憧れを持つようになり、またアメリカを築いた開拓者たちへのリスペクトもあいまり、カウボーイは、郷愁を抱かせるアメリカの象徴的存在、日本でいうところの侍のような存在になった。
この西部の生活への羨望こそ、ジーンズがファッションとしての意義を持つことになる最初期段階になる。
1929年、アメリカでは世界恐慌が巻き起こり、経済は突如破綻を迎えた。そんな中、牛肉の価格下落に伴い生活に困窮した西部の牧場主たちは、東部の富裕層に牧場に足を運んでもらい休暇中に牧場生活を体験してもらうという、いわば牧場観光ツアーを始めた。
これは「DUDE RANCH(デュード・ランチ)」と呼ばれ、東部の富裕層が根底に抱いた西部への憧れとあいまってある種の流行となった。また西部の生活をよりリアルに体験したいという需要もあり、デュード・ランチへ訪れる富裕層は衣装感覚でジーンズを着用した。
ちなみにジーンズ好きならご存知「701XX」は、デュード・ランチに訪れる女性客のために作られたと言われている。
こうして「ジーンズ」は東部のアメリカンたちに、「憧れのファッションアイテム」として伝わり、作業着の様相を捨て始めることになる。
第3章:第二次世界大戦とジーンズ
1940年代、アメリカは第二次世界大戦を迎える。
第二次世界大戦下のアメリカでは、厳しい物資統制が行われ、これがジーンズのディティールに変化を与える。
このころのジーンズは、「大戦モデル」と呼ばれ、「一番太い」「色落ちがメキメキ」「荒い作り(左右非対称)」など、ヴィンテージアイテムや made in USA を愛する方にとっては得も言えないディティール盛りだくさんでファンも多い。
なお大戦モデルと、それ以前のモデルとの主なディティールの変更点は以下である。
1、アーキュエイトステッチの廃止
リーバイスといえば、バックポケットに施された弓がクロスしような形のアーキュエイトステッチ。大戦中には、綿糸の消費を抑えるためにこのアーキュエイトステッチが廃止され、ペンキステッチが代用される。
ペンキ“ステッチ”と呼ばれているが、実際には縫製されておらず、アーキュエイトがペイントされた。オリジナル(当時)のものは、経年とともに色は落ち切ってしまっているものが大半でペイントが見て取れるものにはほとんどお目にかかることができない。
2、股リベット、バックルバックの廃止
物資統制によりリベットの廃止が余儀なくされ、またステッチの補強のために打たれていた股部分のリベットがなくなった。また画像にある腰に付けられていた「バックルバック」も廃止となる。リベットに関しては戦後に再度採用されることとなるが、バックルバックは戻らず戦前までのディティールである。
3、ボタンの変更
それまではメーカーの刻印がされていたが、フロントボタンには「月桂樹ボタン」、小ボタンには「ドーナツボタン」の名で親しまれる、アメリカ軍の汎用ボタンの使用が命じられた。
刻印のないドーナツボタンは意外とエッジが効いていて、ボタンフライ表部分生地の色落ちにも表れる。大戦モデルの魅力の一つである。
その他にも「ドス黒」というなんとも禍々しい表現がされるインディゴ染料の濃い縦糸や、軍用ヘリンボーンツイル地が用いられたポケットの裏地など大戦モデル特有のディティールがあるが、ここでは上述の三点を覚えていただければと思う。
次項からは戦後、いよいよファッションとしてのジーンズの幕開けを紹介する。
第4章:ジーンズの主張〜カウンターカルチャーとの出会い〜
アメリカンカルチャーを語るうえでは、ハリウッド映画が文化に与えた影響は極めて大きいということは大前提。
第2章でお伝えしたハリウッド映画黄金期では「西部劇」がメイントピックで、アメリカ人の西部への郷愁を掻き立てた。
1950年代に迎えた第二期黄金期では、「乱暴者(あばれもの)」「理由なき反抗」といった既成文化へのカウンター的要素を持った映画たちが広く受け入れられた。いわば「不良」の文化である。
「乱暴者(あばれもの)」のマーロンブランドや、「理由なき反抗」のジェームスディーンといった新しいスターが演じたのは「社会に対して反抗する若者像」。大人たちに対するなんとも利己的な若者たちの反抗を描いた作品は当時のティーンエイジャーの心を打った。
映画スターによって若者のスタイルになり始めたジーンズ
さて、これとジーンズがどう関係しているのだろうか。
映画「乱暴者」は、バイクに乗った不良たちがホリスターという小さな町で大暴れするという物語だ。主役のジョニーを演じるマーロンブランドは、黒の革ジャンに黒のブーツ、そしてジーンズというスタイルで役を演じた。
この時マーロンブランドが着用していたのが、501XXなのだ。武骨な野暮ったいシルエットが最高にクールで、幅を取ったロールアップ、タイトなライダースジャケットとのバランスは黄金比と言ってもいいかもしれない。
またこの当時のスタイルのすごいところは、60年もの間、確実に一定の若者の心を捉え続けていることかもしれない。
渋谷でみかけるハーレー乗りの半分がこの当時のスタイルを倣っていて、RUDE GALLERYやCOOTIEといった、当時の西海岸のファッションをテーマとしたルード系と呼ばれるブランドは絶大な人気を集めている。
こうして1950年代、いよいよジーンズは意義を持ち、主張を始める。
カウンターカルチャーとの出会い
次にジーンズが出会うのはカウンターカルチャー。
1960年代アメリカ、及び国際情勢は激動を迎えていた。公民権運動(人種差別への抵抗)、ベトナム戦争、フランスの五月革命。当時の若者は近代政治、社会への疑問を抱えていた。
そんな中「LOVE&PEACE」の思想のもと巻き起こったリベラルデモクラシーの中で誕生したのがヒッピーカルチャーである。
「ヒッピー」と聞いて皆さんはどんな風貌を思い浮かべるだろうか?ティーシャツにフォークロア、ブーツ、そしてジーンズである。
すでに社会への反抗と脱却の象徴となっていたジーンズが彼らのファッションとして受容されるのは自然な流れだった。
1969年にはベルボトム(裾広がり)モデル、「646」が発売され、まもなくリーバイス646は、ヒッピーファッションの象徴にもなった。
その後、ヒッピー文化への対抗として生まれた「パンク」にもジーンズスタイルは取り入れられ、世界規模での普及を見せる。
セックスピストルズのシドヴィシャス、ヴィヴィアン・ウエストウッド、絶大なカリスマ性を持ったタレントたちが、破いたり、ペイントを施したりと様々な着こなしでファッションに取り入れた。
カウンターカルチャーへの迎合は、ジーンズのファッションとしての意味合いをさらに強めることなったのである。
第5章:ヴィンテージジーンズを好きな理由
作業着としてのジーンズが、ファッションとして受容されていった過程を説明したが、ここからは本コラムのもう一つの軸である「ヴィンテージジーンズの魅力」の部分を、実際にヴィンテージジーンズを見ながら触れていく。
まず前提として「ヴィンテージジーンズ」、この言葉に相応しいジーンズには人それぞれ感覚が異なる。「66シングルまで」「66後期まで」「赤耳もヴィンテージに含まれる」等、様々な意見があるが、個人的には「66シングル」までをヴィンテージジーンズと定義したい。
ここからはあくまで主観がベースとなることを容赦していただきたいのと同時に、まずはリーバイス501の代表的な呼称の変遷を紹介したい。
サスペンダーボタン付き → シンチ付きXX → 大戦モデル → 革パッチXX → 紙パッチXX → タイプ物 → bigE → 66シングル(前期) → 66後期 → 赤耳 → バレンシア工場製 → 現行
この辺りがリーバイスファンにとって一般的なモデル名の変遷である。
それではなぜ「66シングル」をヴィンテージジーンズの最後期とするのか。その理由は「生地」の変化だ。
ヴィンテージジーンズの最大の魅力であり、アイデンティとなるのはやはり色落ちである。
そして美しい色落ちを演出しているのが、ジーンズの生地である。
1969年以降に製造され、80年頃まで製造された501が66モデルと呼ばれる。フラッシャー(ジーンズ購入時に付属する説明書的なもの)に「1966」のコピーライトが表記されていたことから「66」という名がついている。
66モデルは前期と後期に分かれ、代表的なディティールの変化には、「バックポケット裏ステッチがシングルからチェーンに変わった」ことがあるが、それ以上にインパクトがあったのが「生地の変化」である。
「生地の変化」といっても正確に言えば、「織り方の変化」で、66後期モデルとなってからまもなく、織機の性能向上により、織が均一でムラのないジーンズの製造が可能となった。
66前期までは、生地の織目も不均一で手で触るとボコボコとした印象があり、この荒い生地が美しい色落ちを生み出していた。
また66後期は過渡期にもあたるため、中には「バックポケット裏はチェーンステッチだが、生地はシングル」という66後期にも出会うことがある。
また「チェーンステッチの66前期」を集めているというコアな趣味を持ったマニアにも出会うことがある。そして「刻印16の66前期(セルビッジ両シングルなのに ”e” ・・・)」を集めているマニアにも出会うこともある。(ここに関しては説明は省かせていただくが)
ちなみに下の画像は1950年代に製造されたLeeの101zとウエストのステッチ(縫い目)。現行だったらクレームものの粗さだが、この “粗さ” が演出するオリジナリティこそヴィンテージマニアが心酔してしまうポイントなのである。
話は逸れたがいずれにせよ、66後期以降、赤耳、現行になると、バキバキといった表現を使える色落ちは無くなり、斑状でのっぺりした色落ちになってしまう。
画像で見るとあまりピンと来ない方も多いかもしれないが、ヴィンテージジーンズは実際に手に取り、履いてみると分かるはず。
第6章:ジーンズに触れて歴史を振り返る
ここまで紹介した歴史やディティールは、ジーンズのすべてを100としたら15程度。
本コラムを読んで少しでも興味を持った方は、ぜひお近くの古着屋などへ足を運んでみていただきたい。
今回ご紹介したような歴史背景も踏まえて、時代背景によるディティールの変化に実際に触れていただきたい。
そして、ゴールドラッシュで夢を見た労働者の気持ち、西部の開拓者へリスペクトと郷愁を抱いた東部富裕層の気持ち、社会に反抗した若者たちの気持ち、「LOVE&PEACE」を歌ったヒッピーの気持ち、自らのイデオロギーを示して見せたパンクロッカーの気持ちを感じていただきたい。
そしてジーンズは、経年により自分のライフスタイルを色落ちに反映してくれるだろう。自分しか知らないシワや擦れが色落ちとなって刻まれていく。
間近で見れば、過去の所有者のライフスタイルが見えてくる。肌で歴史を感じることができる。
正直、高すぎると感じる方もいるかと思うが、それだけの魅力が12オンスのデニム生地には詰まっている。