「御用窯」で生まれた伊万里鍋島焼とは?伊万里焼鍋島焼協同組合にインタビュー!
佐賀県伊万里市の「大川内山」地域には、江戸時代に佐賀藩(鍋島家)の御用窯が置かれていました。
そこでは朝廷や将軍家などに献上する高品位な焼き物が焼かれ、今も「伊万里鍋島焼」として愛されています。
近年は伝統的なデザインだけでなく、さまざまな世代になじむ現代風の伊万里鍋島焼も制作されているとのこと。
今回は伊万里鍋島焼協同組合の原さんに、伊万里鍋島焼の魅力について伺いました。
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目次
守られてきた高度な技術を現在につなぐ、伊万里鍋島焼協同組合
――本日はよろしくお願いします。まずは伊万里鍋島焼協同組合について教えてください。
原さん(以下、原):伊万里鍋島焼協同組合は、伊万里市の南西部に位置する大川内山という地区にございます。
大川内山には江戸時代から続く伊万里鍋島焼の窯元が現在30軒あり、組合では伊万里鍋島焼会館という展示場の共同運営と観光案内、年間イベントの事務局運営を行っています。
――伊万里鍋島焼の歴史についても教えてください。
原:大川内山は江戸時代、佐賀藩の御用窯が置かれた地でした。
ここで暮らしていた陶工たちは卓越した技術をもつ選りすぐりの職人で、朝廷や将軍家、諸大名などに献上する焼き物を焼いていたのです。
その高度な技術が他の地域に漏れないようにするため、三方を山に囲まれた大川内山は立地的に適していました。
開口部には関所も設けられ、人の出入りが厳しく管理されていたそうです。
高品位な焼き物をつくる陶工たちの収入は、武士と同等だったといわれています。
伊万里鍋島焼は赤絵が入ったもの、青磁と言われる青色の器、そして染付という青い色の濃淡だけで表現した3種類の図柄が伝統文様です。
しかし現在はこれらを現代風にアレンジして制作している窯元が9割となっています。
あえて絵付けをしないシンプルなデザインも見られるようになりました。
伊万里鍋島焼ならではの魅力を広めた風鈴祭り
――大川内山では年間行事が充実しているそうですね。どのようなものがあるのでしょうか?
昔は春と秋の陶器市だけでしたが、近年はそれに加えて夏の風鈴祭り、冬のひな祭りなど年間を通してイベントを開催しています。
新型コロナウイルス感染症が流行する前は、年間22万人の方がいらっしゃっていました。
もともとは50代以上のご来場者が多かったですが、2004年から始まった風鈴祭りがきっかけで伊万里焼の風鈴が人気となり、若い女性や家族連れの来場も多くなっています。
――風鈴祭りはどのようなイベントなのでしょうか。
30の窯元が作った約1000個の風鈴がそれぞれの店先を飾り、深緑の山々に囲まれた大川内山に涼しげな音色が響き渡ります。各窯元で販売もしていますよ。
伊万里焼は1300℃の高温で焼きますので、叩くと「きーん」といい音色が鳴ります。
また、ガラスや鉄と違って、磁器は大きさや形を変えると音色が変わりますので、お好みの音を探す面白さもあって人気が出ているようです。
――伊万里焼の魅力をより身近に感じられるのですね。なぜ風鈴を制作され始めたのでしょうか?
当初の目的は、風鈴を展示して夏用の器を多くの方に購入していただくことでした。
しかしサブの要素だった風鈴に人気をいただきまして、窯元さんたちは「それならば」と積極的に新しい商品を制作されています。
今では500種類以上の風鈴が販売されているほどです。
若い方からは「高価なもの」というイメージをもたれやすい伊万里鍋島焼が、親しみやすいと感じていただけるきっかけになったと思います。
先人の陶工に思いを馳せる行事も
――そのほかには、どのような行事があるのでしょうか。
春と秋に開催している窯元市では、半年間で制作されたさまざまな伊万里焼が並びます。
秋は「鍋島藩 藩窯(はんよう)秋祭り」といいまして、窯元市のほかに先人の陶工へ感謝を捧げる奉納式や筆供養も行われます。
窯元市の期間には全国各地からお客さんが訪れ、近隣県だけでなく関東圏や北海道のような遠方から来られる方もいらっしゃいます。
今年(2022年)11月1日から6日の秋祭りはコロナ禍で3年ぶりの開催となりました。
大々的な宣伝はしませんでしたが、感染対策など工夫を凝らして実施できたことをうれしく思います。
大川内山全体の行事のほかに、干支をテーマにした作品展など、各窯元さんが独自でイベントを開催することもあります。
土地と土地をつなぐ伊万里鍋島焼の魅力
――伊万里鍋島焼協同組合のホームページで紹介されている、「献上の儀」についても教えてください。
「献上の儀」は平成元年から始めた取り組みです。当初は佐賀県の市長さんや全国の県知事さんに伊万里鍋島焼を献上していました。
献上の儀では、私たちは江戸時代の武士の礼装である「裃(かみしも)」を着て献上をします。
なぜ現在も裃を着るかというと、やはり大川内山が藩の窯として栄えた地だったからです。
そうした背景もあり、この儀式で献上する焼き物は全窯元が携わって制作します。
ろくろで成形する窯元、絵付けをする窯元、窯で焼く窯元というふうに、大川内山が一体となって作品を作ります。
2004年からはお城のある市町村に献上をしており、ホームページでは福島県の会津若松城への献上を紹介しています。
今年10月には、山口県の岩国城にも献上させていただきました。
――献上される焼き物は、どのようなデザインなのでしょうか。
基本的には、その市町村の草木や花をデザインしております。
伊万里鍋島焼が一番栄えたのは江戸幕府の五代将軍・綱吉の時代だったため、「生類憐みの令」の影響で、動物の絵を焼き物に書かれることがありませんでした。
そうした時代背景があるため、伊万里鍋島焼は植物を描いたデザインが多い傾向にあります。
献上の儀は通例10月に行っており、これは11月に開かれる藩窯秋祭りをお知らせするためでもあります。
献上品はその市町村のお城や市庁舎に飾っていただけることが多いですね。さまざまな土地の方に伊万里鍋島焼の魅力を知っていただけたらと思います。
「秘窯の里」で新たな出会いをもたらす伊万里鍋島焼
――今後の計画がありましたらお聞かせください。
献上の儀に関しては、献上先の市町村で活躍されているデザイナーの方などとコラボができたらいいなと考えています。
一度のご縁で終わらず、未来につながる取り組みに挑戦していきたいですね。
現在、年間イベントの実行委員会メンバーが、窯主さんからそのお子さんの世代に変わってきています。
若い世代から新しい面白い意見が出ていますので、今後も豊かな発想で伊万里鍋島焼の魅力を広めていきたいです。
――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。
伊万里焼は高くて手が出ないものというイメージをお持ちの方がいたら、ぜひ近年の若い作家が手がけた手頃な作品も見ていただけたらと思います。
伝統的なものと現代風のものとの違いにも、伊万里焼の魅力が詰まっています。
また、大川内山は狭い谷間に窯元や藩窯公園があり、山水画のような岩肌と窯場の煙が「秘窯」ならではの景観を成しています。
焼き物に描かれている花や草木も楽しめますので、ご興味のある方はぜひこの地へいらっしゃってみてください。
――貴重なお話をありがとうございました。
今回お話を伺った人:伊万里鍋島焼協同組合 原さん