価値の高い小判の種類は?査定時のポイントもご紹介します

2024.08.23

古銭買取 コラム
価値の高い小判の種類は?査定時のポイントもご紹介します

小判は江戸時代に発行されていた貨幣です。

小判は10種類ほどありますが、金品位や発行枚数などによって価値が異なります。

古銭の中でも小判のコレクション需要は高く、中古市場では活発に取引されています。

本記事では小判の種類、買取実績、査定時のポイントなどをご紹介します。

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※本記事の内容は、必ずしも買取価格を保証するものではございません。予めご了承下さい。

小判とは?

小判とは?

小判は、江戸時代に大判の代わりの流通していた金貨です。

戦国時代に入ると各地の大名の領内では、戦功への褒美などに利用するための金銀貨が作られるようになりました。

江戸時代の貨幣制度の走りは武田信玄が発行を命じた甲州金とされています。

江戸時代に入った頃、徳川家康は領内で通用させるため品位や重さが一定の金貨の製造を目指し高い彫金技術を身につけていた後藤正三郎を江戸に招いて、武蔵墨書小判や額一分金などの金貨を作らせました。

日本最古の小判は、安土桃山時代に作られた「駿河墨書小判(するがすみがきこばん)」と、江戸時代に作られた「武蔵墨書小判(むさしすみがきこばん)」です。

駿河墨書小判と武蔵墨書小判はわずかの枚数しか発見されておらず、本物が流通している可能性は限りなく低いです。

どちらも墨書きが用いられており、武蔵墨書小判の表面には「武蔵壹兩光次」と記されています。

価値の高い小判の特徴

小判には、江戸時代前に作られたものと江戸時代に入ってから作られたものがあります。

徳川幕府は大きな小判を小さな小判に改鋳して金の不足を補っていたため、江戸時代に後期になるにつれて純度の低い小判が多く発行されるようになりました。

小判の買取実績

小判の買取実績

ここではバイセルがお買い取りした小判の事例をいくつかご紹介します。

お持ちの小判がどのくらいの価値がありそうか参考にしてみてください。

小判の種類

小判の種類

江戸時代に流通していた小判は12種類あり、発行年代によって価値が異なります。

大判よりも流通量が多いのでコレクションしやすい種類もあるでしょう。

特にコレクター価値が高いものは「慶長小判」と「元禄小判」です。

ここでは買取において価値の高まりやすい小判をいくつかご紹介します。

慶長小判

慶長(けいちょう)小判は、関ケ原の戦いで徳川幕府が天下を取ったことを記念して作られた江戸時代最初の小判です。

額面は一両で、品位は約86%と高いことが特徴です。

表面には茣蓙目(ござめ)と桐紋(きりもん)と扇が刻まれています。

小判は表面の墨書きをなくして極印に改めることで大量生産ができるようになりました。

元禄小判

元禄小判は1695年~1710年に発行されていました。

金品位は約56%と低めで、額面は一両です。

財政難を迎えていた江戸幕府は、明暦の大火によって慶長小判などの流通貨幣が焼失してしまい、新たな小判として元禄小判を発行しました。

金の含有量が少なかったので改鋳されてしまうことが多かったようですが、使われていた期間は15年程度と短かったので希少価値は高いでしょう。

元禄小判の裏面には「元」の極印が押されており、最後の跳ねが長いものを「長元」、短いものを「短元」と分けていました。

短元は希少価値が高く、状態がきれいであれば数百万円程の価値が見込める場合がございます。

※必ずしも買取価格を保証するものではございません。予めご了承下さい

享保小判

享保小判(きょうほう)は1714年~1736年に発行された小判で、正徳時代に作られていたため「正徳後期小判」とも呼ばれています。

金品位は約86%で、額面は一両です。

享保小判は、正徳小判の評判が悪かったため金品位を少し上げて発行されました。

見た目はさほど変わりませんが、享保小判は極印の「光次(金座の責任者である後藤庄三郎光次)」の一部が離れており、正徳小判はつながっています。

元文小判

元文小判(げんぶんこばん)は1736年~1818年に徳川吉宗が発行を命じて作られました。

90年ほど流通していたとされ、現存枚数が多い小判です。

金品位は約65%で、額面は一両です。

経営難だった徳川幕府は財政改善をするために、元文小判の品位を大幅に下げて発行枚数を増やしていました。

そのため、作りの粗さが目立つ小判が多く、状態が良い元文小判は買取において価値の高い傾向にあります。

また、元文小判は上部に「壹两」の文字が、下部には「光次」の極印が刻まれ、その間に桐の紋章が刻まれています。

裏面には、中央に「光次」の花押、その横に「文」の極印、左下に製造段階ごとの二つの印験極印があります。

文政小判

文政小判は1819年~1828年に作られていました。

見た目は享保小判や元文小判と似ていますが、金品位は56%ほどと江戸時代に鋳造された小判の中で最も低いです。

文政小判の裏面には年代印として「文」の字が打たれ、元文小判と区別するため草書体が使われています。

天保小判

天保大判は1837年~1858年まで使われていました。

金品位は67%ほどで低めで、2,000枚に満たないほどなので保存状態が良い天保小判だと買取相場は高くなりやすいでしょう。

また、天保小判は「保」字が打印されているため「保字小判」とも呼ばれています。

天保大判は、その前に流通していた享保大判と似ていますが、表面に刻まれた「たがね目」の模様がやや太いことが特徴です。

万延小判

万延小判は1860年~1874年に作られていた江戸時代最後に発行されました。

発行枚数は約60万枚以上と多く、金品位も小判の中では一番低いですが、きれいな状態ですと数万円以上の価値が見込めるでしょう。

貨幣の材料である金属が不足し、小判ごとに金や銀の質を極限まで落として作られていました。

大判の種類

大判の種類

小判をコレクションしている人は大判も集めている人もいるでしょう。

大判は、小判の前に作られていた貨幣です。

天下統一を果たした豊臣秀吉が最初の大判金である「天正大判(てんしょう)」を作らせたことが始まりとされています。

小判と同じくいくつか種類がありますが、特に「慶長大判」と「天保大判」が有名です。

ここでは大判の種類をご紹介します。

慶長大判

慶長大判とは関が原の合戦で豊臣家は滅ぼされて、徳川家が天下統一したことを記念して1601年に発行されました。

当時、大判は贈答用や主君が武士に物品の授与として利用されており、市場に流通されていませんでした。

慶長大判は墨書き、品位、発行時期、裏面の刻印などによって、慶長笹書大判金や慶長大判金(明暦判)など5種類に分けられます。

表面にはどれも上下左右に丸枠桐紋が刻印され、裏面には丸枠桐紋、亀甲桐紋、花押が刻印されています。

元禄大判

元禄大判は1695年~1716年に発行された貨幣で、慶長大判を改鋳して金品位を大幅に下げて作られました。

元禄大判は、慶長大判と同じく表面には「拾両・後藤」の墨書き、楕円の形状で、上下左右には丸枠の桐極印が打たれています。

裏面には「元」の年代印と、「茂・七・九」、「茂・さ・九」、「茂・宇・九」、「茂・山・九」、「茂・坂・九」のいずれかの極印が打たれています。

万延大判

万延大判とは1860年~1862年までと2年間と短く、枚数も17,000枚ほどとされています。

明治維新によって新政府が統治するようになると貨幣精度が大きく変わり、江戸時代に使わ れていた大判と小判を回収して、新しい貨幣を作りました。

そのため、万延大判は金品位は約30%程と低いですが、日本で最後に発行された大判として価値があります。

また、万延大判の表面は波銭のようなたがね目打ちと、のしめ打ちの2種類があり、花押と呼ばれる署名と墨書きがあります。

裏面は製造年代によって刻印が異なります。

天保大判

天保大判は1838年から発行されていた大判で、発行枚数は2,000枚ととても少ないです。

大判を製造する大判座の財政難対策で発行されたといわれています。

天保大判の表面は花押しと、「拾両・後藤」と職人の名が墨書きされ、裏面には丸枠桐紋、亀甲桐紋、花押の極印と、左下には座人極印が打たれています。

この極印から製造時期や枚数が予想できます。

天正大判

天正大判は1588年に発行され、「天正菱大判金」「天正長大判金」「大仏大判金」の3種類あります。

天正菱大判金は天下統一を目前にした豊臣秀吉が作らせた貨幣で、約4万枚発行されたと言われていますが、現存数は数枚程度で非常に希少価値が高いです。

表面には「拾両」と墨書され、下には後藤の花押、右上には年号、そして菱型枠に桐の紋章が刻印されています。

品位は70%ほどで、量目は約160gです。

天正長大判は、表面の「拾両 後藤」の墨書きがあって年号の記載はありません。

品位は約70%、量目は約160g、発行枚数は約5万5000枚とされています。

大仏大判金は秀吉の息子である秀頼(ひでより)が作らせた大判で、京都にある方広寺大仏殿の再建費用に当てるために発行しました。

品位は約70%、量目は約160g、発行枚数は約4万枚とされています。

表面の墨書きは経年劣化すると汚れて読みづらくなるので、製造当時と同じくらいきれいな状態だと高値になりやすいです。

享保大判

享保大判は1725年~1837年と130年ほど発行されていた貨幣で、墨書きの書き替えが行われて合計で6種類あります。

享保大判の表面には「拾両 後藤」の花押しと墨書きがあり、墨書きは後藤四郎兵衛家・十二代寿乗、十三代・延乗、十四代・桂乗、十五代・真乗、十六代・方乗、十七代・典乗の誰かが書いたもので、初期のころに描かれた大判は希少価値が高いです。

裏面の中央には、丸枠桐紋・亀甲桐紋・花押の極印、左下には「久・さ・竹」「久・石・竹」「久・坂・竹」「久・宇・竹」「久・七・竹」のどれかの極印が打たれています。

小判を売るときは古銭買取業者を利用しよう

小判を売るときは古銭買取業者を利用しよう

古銭買取業者をお探しならバイセルを利用してみませんか。

バイセルは古銭全般の買取実績が豊富にあり、専門知識に熟している査定士が多数在籍していますので、小判の価値を見極められます。

査定士は小判の品位、状態、発行年数、品位、中古市場で需要があるか、アンティーク価値があるかなどを踏まえて適切な金額を提示できます。

査定前に保存状態を確認しておこう

古銭は保存状態がきれいなほど高値で買い取ってもらえる可能性が高いです。

大判と小判は元から汚れている場合が多いので、査定前に汚れやホコリを傷がつかないように拭き取ってきれいにしておくことをおすすめします。

さらに、鑑定書や箱も用意しておくと中古市場でコレクター需要が高まって、査定金額が上がりやすくなります。