
沖縄の伝統的な染織物のひとつである読谷山花織。様々な色糸で織り上げられる幾何学模様は可憐な花文様のように美しく、織物は着物や帯に仕立てられて現在も多くの人に愛されています。
そんな魅力たっぷりの読谷山花織についてご紹介します。
読谷山花織とは?
読谷山花織(ユンタンザハナウイ)は紅型や芭蕉布、首里織などと並ぶ沖縄の代表的な染織物のひとつで、現在も沖縄本島の西海岸中部にある読谷村で制作されています。
その歴史は古く、中国や東南アジアとの交易が盛んであった琉球王朝時代に南方から伝わった技術をもとに、15世紀ごろから織られていたと考えられています。
琉球国の崩壊や第二次世界大戦など時代の大きな流れに翻弄され、一時は絶滅寸前の状況に陥って「幻の花織」と言われましたが、1964年読谷村有志と与那嶺貞氏の尽力により復興を果たしました。
のちに読谷山花織は国の重要無形文化財の指定を受け、与那嶺氏は人間国宝としてその技術の保持者に認定されています。
王族に献上されていた読谷山花織
南方との交易による文化交流で伝来した織物の技術は読谷村の風土風習と相まって独自の発展を遂げ、美しい読谷山花織が完成しました。
読谷山花織は琉球王府の御用布に指定され、王族や士族のために制作されました。
そのため、読谷の住民以外の一般庶民には着用が許されていなかったといいます。
また、琉球国の外交文書を記録した『歴代宝案』には1470年に琉球から朝鮮への贈り物として読谷山花織と思われる染織物を贈り物として送ったという記述も見られるなど、当時から貴重な名産品として扱われていたことがうかがえます。
読谷山花織に見られる花文様の意味
読谷山花織の文様を構成する紋柄には3つの基本図柄があります。
1つ目はジンバナ(銭花)といい、お金をかたどった模様から裕福になりますようにという願いが込められています。
2つ目はオージバナ(扇花)でまさに扇が広がったような逆三角形の模様をしており、末広がりの子孫繁栄の願いが込められています。
3つ目はカジマヤーバナ(風車花)で、風車をかたどった×マークのような模様です。これは97歳になると風車を配るという風習から、長寿と健康の願いを込めたものです。
この3つの基本図柄をもとにして、現在では約30種類の幾何学模様柄が存在しています。
読谷山花織の2つの技法
読谷山花織は糸を事前に染めておく先染めで、複数の織り方や色糸で模様を表す紋織物の一種です。
この織物には2つの技法が用いられており、1つ目は文様を織り込むために花綜絖(はなそうこう)を使う「綜絖花織」で、文様になる紋糸が経糸(たていと)方向に織り込まれているものを「経浮(たてうき)花織」、緯糸(よこいと)方向に織り込まれているものを「緯浮(よこうき)花織」と呼びます。
2つ目は経糸を手や竹のヘラなどですくって文様を織り込む「手花織」で、こちらは織り手が糸をすくって作業するため模様や図柄の自由度が高くなっています。
独特の花模様が浮き出る読谷山花織は一反織り上げるのに2か月以上かかるといわれる手の込んだ織物です。
もしも箪笥や押入れに眠っている読谷山花織があれば、買取査定に出してみるのもよいでしょう。
貴重な人間国宝の与那嶺貞氏の花織なら、特に高額での買取が期待できます。着物や反物の数が多ければ自宅まで来てくれる買取出張サービスが便利です。